2026年9月
上場準備でつくった形式は、上場後に意味を持つ
上場準備の過程で、監査役として何度も同じ場面に立ち会ってきました。社員が数十名の会社に、リスクマネジメント委員会が設置されます。規程がつくられ、事務局が置かれ、四半期に一度、あるいは月に一度、会議が開かれます。議事録が残されます。
正直に言えば、その頻度でリスク項目が入れ替わるわけではありません。前回と同じ一覧を眺め、前回と同じ議論をし、前回と同じ結論を記録する。メンバーの顔ぶれも取締役会とほとんど重なっていますから、実質的には同じ人間が場所を変えて同じ話をしていることになります。当事者にその自覚がないわけでもありません。それでも続けるのは、上場審査において、体制が実際に運用されていることを示す必要があるからです。
本質的な議論かと問われれば、上場前の段階では、そうではありません。形式です。
上場後に起きること
上場すると、まず頻度を落ち着かせることができます。四半期に一度で足りるものを月に一度やる必要はありません。これは緩めてよい部分です。
そして、ここからが本題なのですが、頻度が落ちるのと入れ替わるように、会議の中身が濃くなっていきます。まともな会社ほど、そうなります。
理由は、開示が本番になるからです。上場前の管理体制は、審査を通過するために示すものでした。上場後は、開示した内容が不特定多数の目に触れ、記録として残ります。何か起きたときに、対応の拙さがそのまま外から論評される立場になる。有名税と言ってしまえばそれまでですが、この恐怖は実際に効きます。悪くまとめられたくないという気持ちは、経営陣にとってきわめて具体的です。
そこで、何かが起きる前に備えておきたい、という話になります。起こりうる事態を洗い出し、影響を見積もり、対応の道筋を決めておきたい。それはリスクマネジメントそのものです。そして、その場はすでにある。上場準備の過程で、形式としてつくられ、形式として回されてきたからです。
この再発見の瞬間に、私は何度も立ち会いました。並んでいるリスク項目を前に、誰かが「これ、ちゃんとやったら使えますね」と言い出す。事務局が資料の作り方を変えてくる。議論が前回の焼き直しでなくなる。ほほえましい光景です。
器が先にあったから、中身を注ぐことができた。責任感が生まれたその時に、ゼロから場をつくり始めていたら、間に合いません。上場準備で形式を整えることは、本質的な議論を遠ざけているように見えて、実のところ、後で本質に着手するための前提条件をつくっています。
緩めるとは、どういうことか
もうひとつ、別の種類の変化があります。
上場前、コーポレート部門は三六協定の上限を超える社員を一人も出さないよう、血眼になっていました。個々の社員の労働時間に張り付き、月末が近づくと直接声をかけて止める。上場審査で労務の問題が出れば致命傷になりますから、当然の運用です。
上場後、この運用は変わりました。上限を守ることは、社内で共有された前提になっています。ここまで周知したのだから、それでも守らない者には懲戒をもって臨む。そういう建て付けに移りました。
これを「緩めた」と表現すると誤解を招きます。管理を手放したわけではありません。変わったのは、監視の主体です。コーポレート部門が個別に抑え込む運用から、ルールと帰結を明示して、各部門が自ら守る運用へ移した。むしろ規律としては厳しくなっています。
つまり、上場後に緩められるものには二種類あります。頻度や手数のように、単純に減らしてよいもの。そして、担い手を移すことで、結果的に効きが強くなるもの。後者を前者と取り違えると、統制は本当に緩みます。
監査役の仕事は、どう変わるか
上場前、監査役が問われるのは、上場後も回り続ける体制が本当にあるかということです。それを審査の場で示す必要があるため、規程、決裁、議事録、監査計画を、形式面まで含めて整えます。ここを疎かにすれば上場そのものが遠のきますから、徹底します。
上場後、問われるものは変わります。株主が不特定多数になり、そのなかには経営に直接関与しない少数株主が含まれます。監査役は、その人たちの利益を代弁する立場に立ちます。同時に、会社が適切にリスクを取って成長することも守らなければなりません。何にでも慎重を求める監査は、成長段階の会社にとってはむしろ害になります。
この局面で監査役が果たすべき役割を、私は次のように考えています。上場準備の過程でつくられた形式について、それが何のためにあったのかを問い直す側に回ること。会議体、規程、決裁ルールのそれぞれについて、いま何を守ろうとしているのかを言葉にさせる。答えられないものは、頻度を落とすか、担い手を移すか、場合によっては畳む。答えられるものは、形式のまま置いておかずに、中身を入れる。
上場は、体制を完成させる行事ではありません。形式を手に入れた地点にすぎない。そこから中身を入れていく作業が、上場後に始まります。監査役は、その作業を促す側にいます。